今日は、ひとりで外出した。
移動しながら、いろいろ考える時間が欲しくて、柚木沙弥郎展に行くことにした。
会場に入って、最初の展示室に足を踏み入れる。
雨の日の午前中だと言うのに、人は思ったより多くて、自然と歩くスピードがゆっくりになった。
表現し続けた時間の長さ
柚木沙弥郎さんは、101歳でこの世を去るまで、表現を続けていたという。
かっこいい。
好きじゃないと、きっとできないことだと思う。
どうしてもやりたいことじゃないと続かないし、続けられない。そんな人生においての使命感を持って暮らせるってとても幸せなことなんだろうと思う。
「モノを見る」ということ
展示の中で、「モノを見る」ことについての言葉が紹介されていた。
正確な表現は違うけれど、私の中には「存在意義」という言葉として残った。
なぜそれがそこにあるのか。
なぜその形になったのか。
そういうことを考えながら見ることが、ちゃんとモノを見る、ということなのかもしれない。
そんなふうに受け取った。
自分も、何かを見るときに、これはなぜこうなったんだろう、と背景や理由を考えることがある。
それは、本質的にモノを見ている、ということに近いのかもしれないと思って、少し面白くなった。
区切りをつけるという選択
展示では、沙弥郎さんが、ある年齢のときに
「これ以上、新しいものは生み出せない」と考え、
自分の作品制作に一区切りをつけた、というような話も紹介されていた。
その後は、リトグラフや造形、ガラスなど、別の表現に取り組んだらしい。
やり切ったと感じたのかどうかは分からない。
でも、自分の中で区切りをつけるという選択も、ひとつの美しい在り方だなと思った。
ワクワクという言葉
彼の中にある「ワクワク」。
これは、誰にとっても響く言葉だと思った。
難しいことじゃないけれど、
とても大切にしたい感覚を、率直に伝えている言葉。
そのワクワクが、作品そのものにも表れているように感じた。
この言葉は、私にとっても他人事じゃない。
一個前の会社に入社したとき、
幹部面談の場で「ワクワクしていたい」と伝えたことがある。
今も、やっぱりそう思っている。
今日、持ち帰ったもの
アウトプットが足りていないと感じている、今日この頃。
ワクワクすることって何だろう、と考えていると、
それだけで、少しワクワクしてくる。
何かをアウトプットできそうな気持ちになる。
柚木沙弥郎展には、2時間滞在した。
マグカップとステッカーを買って、会場を出た。
ひとりで出かけた日は、
こういう言葉や感覚を、静かに持ち帰れるのがいい。
