子どもの頃から、人の気持ちの変化には敏感なタイプでした。
誰かがほっと笑ってくれると、自分まで安心する——そんなクセが大人になった今も続いています。
そうやって場を整えることは得意だったけれど、
その一方で、自分の気持ちはつい後回しになってしまうところがありました。
本心が日の目を見ることは、あまり多くなかった気がします。
「ラベル」という考え方に出会って気づいたこと
最近、「ラベル」というものが心を軽くしてくれる場面が増えました。
たとえば、アグネス・チャンさんが子育ての話で言っていた言葉があります。
思春期のムカムカは、性格ではなくホルモンのはたらき。
だから本人も親も必要以上に自分を責めなくていい。
この言葉を聞いたとき、「ああ、こういう考え方って大事だな」と静かに腑に落ちました。
感情の揺れを“人格そのもの”として扱うのではなく、
“そういう時期の仕組み”というラベルに置きかえるだけで、視点がやわらかくなる。
自分の内側で起きていることに、無理やり理由をつけなくていい。
そう思えると、少しだけ心に余白ができます。
HSPというラベルで、見えた景色
大人になってからも、人の表情や空気の変化には敏感なままでした。
- 誰かの不機嫌にざわざわする
- 空気が重いと息が浅くなる
- 自然と場を明るくしようとしてしまう
そんな反応のひとつひとつを、ずっと“自分の問題”として抱えていたけれど、
HSPというラベルに出会ったことで、考え方が少し変わりました。
「こういう気質なんだな」
「これはクセのようなものなんだな」
そう思えるだけで、感情と自分のあいだにほどよい距離が生まれます。
ラベルというものは押しつけられると窮屈だけれど、
自分の理解のために使うと、こんなふうに心の自由度を上げてくれるのだと気づきました。
自分を責めないための「視点の置き場所」
私にとって、ラベルは“言い訳”ではなく、自分を客観的に見つめるための小さな道具になっています。
たとえば、仕事で誰かの表情が曇ったとき。
以前はその瞬間に胸がざわっとして、「私、何かした?」と責任を感じてしまっていました。
でも今は、
「これは私の気質がちょっと反応しているだけかもしれない」
と、そっと視点をずらせるようになりました。
その“ほんの少しの距離”が、心を守ってくれます。
ラベルは縛るものではなく、ほどくもの
人は、ときどき自分の気持ちと感情をごちゃまぜにしてしまいます。
反応そのものを「私の全部」だと思い込んでしまう。
でも、名前をつけてあげるだけで、世界の見え方は変わります。
- 私が繊細すぎるわけじゃない
- 反応しすぎているわけでもない
- ただ、そういう気質を持っているだけ
そう思えると、心はすっと軽くなります。
ラベルは、人を分類するものでも、縛るものでもなくて、
自分の心をほどくための“そっと置く場所”なのだと思います。
まとめ:自分の気質を、優しく受けとめるために
子どもの頃からのクセや反応は、簡単には変わらないかもしれません。
それでも、見方を変えるだけで扱いやすくなることがあります。
ラベルという小さな視点の置き場所があれば、
感情と自分を分けて考えることができる。
そしてその距離が、私の心にとっての“余白”になっている気がします。
これからも、自分の気質を責めるのではなく、
優しく見つめていきたいと思っています。
